音楽と「もののあはれ」

先日、雑談のなかで「もののあはれ」という言葉が話題に上りました。「もののあはれ」って、響きとしては聞いたことがあっても意味がよく分からなかったので検索してみたのですが、色々と自分の感覚と繋がるところがあったので書き残そうかなと思います。
 
そもそも「もののあはれ」というのは、平安時代に生まれた美的理念の一つ。何かを見聞きしたときに感じるしみじみとした趣や哀愁、情緒、といったところのようです。これは諸行無常の考え方がベースにあって、いつかは全てが滅びゆくという思想があるからこそ感じられる感傷的な心の動き、とのこと。
なるほどー、と思って読んでいたとき、ふとこれは正に「もののあはれ」ではないか?という感覚を思い出しました。
 
私はライブでアーティストの生演奏を聴くのが好きなのですが、その中でも特に好き、というか切なくなってしまう瞬間が「音が残響になって消えていく瞬間」。ライブは身体全体で音が感じられるので、その瞬間の切なさや余韻も全身で感じられるような気がします。(ちなみに、ホワイトキューブという宮城のコンサートホールは日本一残響時間が長い会場で、パイプオルガンが備え付けられているそうです。HYDEさんのROENTGEN方面のアレンジのライブとかこういうところでやったらいいのになぁ、と思ったり。実際残響がありすぎると演奏によからぬ影響とかあるのかな…?音響的に問題なければ味わってみたいです。)
この消えてしまう瞬間に感じる何とも言えない気持ち、その感覚って、平安時代でいう「もののあはれ」に繋がるものがあるのではないかと思いました。
 
音楽は私たちの前から去ってどこへ行くのか、そんな思考にとてもぴったりだと思う歌詞を、好きなバンドの一つであるGLIM SPANKYの松尾レミちゃんが書いています。

GLIM SPANKY/NIGHT LAN DOT

>よく聴いて欲しい 僕の唄ってる歌もそう
そっと消えていってしまう 幻と同じ音楽
 
情緒なくいってしまえば、音は音エネルギーとして広がり、壁に吸収されて熱エネルギーになるそうですが、目に見えず触れられないものである分、幻のようであったり、思いそのもののように感じられたり…音という性質のもつ面白い部分だなと思います。
 
平安時代の美的感覚に、個人的だと思っていた感覚で共感できるって、月並みだけどなんか面白いですね。
音楽以外でも、ちょっと暗かったり、もの悲しげで感傷的な雰囲気のものってなんだか魅力的。以前「ホンマでっか!TV」で心理学の植木先生が「どんなに絶望的な状況でも、人間頭の中ではどこかでそれを楽しんでいて、通常は完全に絶望してしまわないようにできている」という感じのことを言われていたのときどき思い出すんです。そういうある意味での人の強さって、もの悲しさも味わいの一つとして楽しめる美的感覚に繋がる部分があるのかなって思うことがあります。